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【自己紹介】《過去編》
ド田舎出身の21歳女子大生が、
1年で港区の年収3000万女社長
になって24時間自由になった話

 

こんにちは!かほです。

はじめに軽く自己紹介させていただきます。

興味を持ってほしいので胡散臭いの承知で書きます。事実なので。

・大学3年でビジネスを始め
・2ヶ月で月収50万達成
・3ヶ月で月収200万達成
・4ヶ月で月収300万達成

・税金がヤバかったので会社を立てる
港区で会社経営女子大生社長
・21歳で年収3000万稼ぐ

・メール1通で1000万の売上を作ったり
・開封率70%のメールを書いたり
(業界平均20〜30%)
・10万の高単価商品の成約率30%超えたり
(業界平均0.1〜5%)

煽らないライティングで
バコンバコン商品を売るプロです。

 

・Twitterのフォロワー数は
0から2週間で1000人を超え
1年で1万人を超えました。
(顔出し, DM, いいね&リプ周りなし)

ただ基本的にSNSが苦手なので
ツールに任せて自動化をして、
労働時間ほぼ0で運用しています。

1日1分くらいしかTwitter見てないし
なんなら全く開かない日も普通にある。笑

 

・ネットの力を使って
自分が働かなくても稼げる仕組みを構築し
ほぼ不労所得で生活しています

21歳のときには毎月300万ほど
自動で収益が入ってくるようになったので
半年ほどセミリタイアしてたけど

刺激がなさすぎて病んだので
また今はビジネスをやっています。

 

趣味は、

・読書,映画,マンガ
・1日の半分はこの時間です

・温泉
・夜中にタクシーでふらっと箱根へ

・ゴルフ
・RIZAP GOLFでガチ修行中

・ヨガ
・朝晩のんびり通ってます

こんな感じ。旅行も好きですが
基本家でのんびりしてるのが好きです。

 

大学生で年収3000万を超える人
かなり珍しいので怪しいと言われるのですが、

詳しい実績はこちら

 

自分の周りには20代で年収億超えは
割とゴロゴロいるので個人的には
自分なんてまだまだだなと思っています。

・ライティング
・マーケティング
・ブランディング
・ネットによる自動化

このあたりを一通り学んだので大学生でも
公務員の5倍の年収&週7自由になれました。

 


▲私を育ててくれた経営者の方が
お誕生日をお祝いして下さった時の写真
(この時は髪型ショートです)

 

知っているか。知らないか。
ビジネスはそれだけの世界です。

経営歴10年の人が3ヶ月プレイヤーに抜かされる
なんてビジネスの世界ではザラにあります。

ネットで1000万をこっそり稼ぐくらいなら
経験や才能、人脈はなくても全く問題ない。

知識がある人が勝ちます。
学んだ人が勝ちます。完全なる情報戦です。

 

私が毎月100万〜300万円は勉強代に充てて
今も学び続けているのもそれが理由です。

 

元々、起業とは縁もゆかりもない
埼玉のど田舎で公務員一家に生まれ
おばあちゃんに育てられたため英才教育や都会の刺激はほぼありませんでした。コネもないし知識や経験もない。
そんな状態からのスタートでした。

 

詳しいストーリーについては
わたしが運営しているメルマガで
共有しているのでぜひ見てみて下さい。

詳細はこちらから

 

そこからはい上がってきた身なので
起業を目指すなら私を知っておいて
この先損はないかなと思います。

 

せっかくの人生だからね。
仕事以外にもやりたいこと、
本当はいっぱいあると思うので。

 

わたしのメルマガを通して

好きなときに好きな場所で
好きな仕事をすることで、
好きな人のそばで
1日中好きなことができる

そんな経済的・時間的な余裕を
手に入れていただきたいと思います。


▲うちの事務所のアルパカたち私が0から年収3000万を達成するまでに
どのようなプロセスを踏んできたのか?↓詳しくまとめてみました。

現在の1日のスケジュール

まずイメージしていただきやすいように
私の1日のスケジュールをご紹介しますね。

1分くらいで読めます。

 

11:00〜 起床

眠くなったら寝て好きな時間に起きるので
基本的に起きる時間はランダムですが
大体10:00〜12:00には起きています。

朝ごはんを食べながら、メールの返信。
ついでに売上もチェック。

「お、今朝は5万売れてるのね」

んーーーっいい感じーーー
ぐっとのびをして1日の準備を始めます。

 

11:30〜 

最近はヨガに通っていたり
RIZAPでゴルフをやっているので
この時間帯は運動してることが多いです。

 

すれ違うサラリーマン。
街の喧騒。クラクションの音。

お昼になってくると世間が
ガヤガヤと騒がしくなってくるので
あまり出歩こうとは思いませんが、

世間の喧騒から離れた場所で
ゆったり心地よく過ごせるので
都内の緑の中を散歩するのは好きです。

そろそろお昼どき。

 

13:00〜 

起業家の友人を誘ってランチへ。

平日の昼過ぎなので
基本どこにいっても空いています。

あたたかい陽の光を浴びていると
ぽかぽかした温泉の中にいるようで
とっても幸せな気持ちになれます。

メールを確認すると
10万ほどさらに売れている。

うんうん。いい感じ。

軽くメールを返信して、
このあとは何をしようかなーと
ぬるくなった紅茶をのみほす。

 

15:00〜 

ランチから帰ってきたら
ゆったりおうちタイム。

本を読んだり映画を観たり。
マンガを読むのも売上に繋がるので
リサーチがてら大量に読み込みます。

映画が好きなので、
その日の気分でチケットを取って

ふらっと夜に1人で映画を観にいく
そんな特別な時間も大好きです。
(↑写真はお気に入りの映画館)

帰り道、映画の考察をしながら
のーんびりのーんびり歩くのがとても幸せ。

 

だんだんと薄暗くなってくる。

そろそろ仕事終わりの会社員と
すれ違う時間帯ですね。

1日ももうすぐ終わりです。

 

19:00〜 

友人の家に行って一緒にご飯を食べたり、
お土産を持って実家に帰ったりもします。

美味しいご飯を食べながら
夢や今後の事業展開について
わいわい明るく話せる。

私にとって居心地のいい大切な場所。

感極まって、泣いたり、笑
お腹がよじれるほど笑ったり

20歳超えてからこんな仲間と
出会えるなんて思わなかった。

起業してから自分は随分と
感情表現が豊かになったと思います。

 

それだけ子どものように
自由にワクワクを追いかける
そんな生活を送れているからでしょう。

人生の中で今が1番楽しいと
本気で思えるようになったのも
起業してからです。

 

21:00〜 

近くに海が見える温泉があるので
1日の終わりに癒されにいきます。

ゆったりと。

温泉からの帰り道、

まんまるの黄色い月が体に落ち。
影になり、追いかけてくる。

明日も穏やかな1日になりますように。

胸いっぱいに深呼吸をして。
毎日自由であることに感謝をして。

 

ポケットの中のスマホには
今日の総売上20万という報告が届いている。

 

「今夜は眠くなるまで映画をみよう」

コンビニに寄ってアイスとポテチ
買っていこうかな。

そんなことを考えながら帰っていく。

そうして私の1日が終わっていく。

 

         こんな日々を送っています。

怪しいなーって感じたかな。笑
その気持ちもとてもよくわかります。

わたしも最初信じられなかったから。
「全く意味がわからない」って思ってた。

 

こう見るとマジで働いてませんが、笑

映画を観たり人と情報交換したり
結構ちゃんと仕事に繋がる部分も多く

これが結果として、知識や経験となり
提供ができる価値が増えて売上に繋がります。

面白い人と話せば話すほど、
感動する作品に触れれば触れるほど、
私はもっとお客さんを喜ばせられる。

 

幼少期の自分が知ったら
びっくりして腰を抜かすと思います。

「こんな働き方あるんだ」って。
信じられないですよね、普通。

もしかしたら信じたくもないかもしれない。
(嫉妬と疑念でふいっと横を向きそう…。笑)

 

…なぜかというと、

私の過去は自由がなく
人の顔色を伺ってばかりの
今とは真逆の人生を送っていたから。

 

私の過去を知っておくと、

起業向きの性格でもなく
起業向きの環境でもない

こんなやつでも変わるんだなと
思っていただけると思うので
少しお話させていただきますね。

厳しく育てられた幼少期

学校の同級生はたったの25人。
家の周りは田んぼと川しかない。
そんな埼玉のど田舎で育ちました。

 

そして家族や親戚はほぼ公務員。
父、母、姉、叔父、いとこ。全員。

良い大学に進学して公務員になりなさい

これが幼い頃からの教育方針。
厳しく育てられました。

 

・高校まで携帯を持たせてもらえず
・ゲームも隠され捨てられる。

・彼氏ができても旅行は禁止。
・大学生になっても一人暮らし禁止。
・髪を染めるのもピアスを開けるのもダメ。
・バイトは夜の21時まで。

「うちの親、放任主義だから〜」
と言っている同級生が
羨ましくて羨ましくて仕方なかった。

うちの親はよっぽど私のことを
信頼していないんだな、と
吐き捨てるように思っていた。

 

夢を追いかける人生」より
世間体がいい安定した人生」を
正解として幼少期から叩き込まれました。

常に守られる対象であり、子ども扱い。

でも両親はちゃんと愛情をくれたから
嫌いになりきれず余計に苦しかった。

冒険よりも安定。そんな価値観の家でした。

 

だからこそ幼少期の私は
本やマンガの世界にのめりこみました。

主人公たちは自由にやりたいことをやり
行きたいところに飛び込んでいく。

それを疑似体験できるのが
楽しくて。嬉しくて。

「いいなあ…かっこいいなああ」
目をキラキラさせて冒険の世界に
自分自身を投影していました。

歳の離れた姉の部屋に忍びこんで
親にバレないようこっそり読む日々。

 

あなたの人生なんだから
あなたの好きなように生きなさい

 

そんな言葉を一度もかけてもらえずに
育ってしまった家庭だったから。

マンガの登場人物たちだけが
代わりにその言葉をくれて、
希望や夢を与えてくれていたんです。

 

 

だから本当は『マンガ家になりたい』って
ずっと思っていたんだけど、

家族に応援してもらえない夢を追う
自信なんて子どもにはありませんでした。

…そうして私は、夢から逃げて
親や先生が勧める進路を選びました。

 

(その後、公務員予備校で
就活をしていた私が急に起業し

今ではマンガ家に近い仕事が
できているから驚きです。

しかも、

パソコンも携帯もゲームも禁止で
ひたすら本を読むか虫取りするかの
ハイパーアナログ人間だった私が

今やネットで起業してるので
ほんと人生何があるか分からないですね)

 

「自由」に人一倍憧れを抱いていた。

「いつか自分も…」と夢を抱き、
そして戦う間もなく諦めていった。

そんな切ない幼少期でした。

人の顔色を伺いまくる人生に

まあそんな厳しい家庭で育てられると
どうなるかというとですね、

お察しの通り、「わがままが言えない子」が
できあがりました!(パンパカパーン)

 

問題行動を起こすこともないし
学校も休まず無遅刻無欠席。

それゆえに「まじめだよね」と
いわれることがとても多かった。

おかげで私は「まじめ」という
言葉が嫌いになりました。

つまらない人間だと言われているようで。
ノリが合わないと貶されているようで。

まじめと思われるのが怖かったんです。

 

嫌われたくないので他人の顔色ばかり
疑うようになりました。

相手の表情が少しでも曇ったら
「なにかまずいこと言っちゃったかな」
と怒りや悲しみに敏感に気がついてしまう。

人に気を遣いすぎてしまうため
初対面の人と会った次の日や
大人数が集まる場に行った次の日は
1日寝込むなんて日常茶飯事。

基本的に休日は寝たきり。

だからSNSもやらなかった。
会ってない時まで人に気を使うのが嫌でした。

 

「迷惑だと思われるのが怖い」
→人に素直に頼れない。

「幻滅されるのが怖い」
→弱みや本音を見せられない。

いわゆる、”いい子ちゃん”

悪くいえば八方美人だよなあ。
そんな風に自嘲気味に笑ったりして。

 

3人組、5人組も昔から苦手で、
遠慮して一歩下がって歩いちゃう。

そして自ら生み出した疎外感に打ちひしがれる。
自分でもなーにやってんだと思います。

会話は基本的に聞き役で目立たない。
「つまらない奴と思われてたらどうしよう」
なんていつも不安でたまらなかった。

 

 

自分に正直に生きてて
愛されてる人が羨ましかった。

親友と呼べる存在が
側にいる人が羨ましかった。

素直に人に助けを求められて
弱みを見せれる人が羨ましかった。

 

頼れない。断れない。
自分の本音を隠してしまう。

いじめられても何も言い返せない。

・大人しい人に当たりが強い
・常にイライラ怒りっぽい
・厳しいルールを強要してくる

学校やバイトではそんな苦手な人とも
我慢してやっていかないといけなくて。

会社は簡単には辞められないし。
将来が不安でいっぱいでした。

 

でもそんなこと
家族、親戚の公務員一同には言えません。

「会社に属さずフリーでやっていきやす!」
なんてとんでもねえ荒くれ者が出た日には
全員でリンチです。

大人しく就職するしか……

…なんて、こーんなにも人の評価を気にして
安定の道を選んでいたわたしですが。

 

そうなんです。
あれ、起業してる。

 

いったいなにがどうなって
起業という不安定な冒険の道を
わざわざ選ぶことになったのか?

長年培ってきた安定魂を崩すのには
かなりの衝撃が必要ですよね。

 

それが起こるんです。
でっかい隕石が2発。

20歳のときにドカーンと
頭に落とされることになります。

 

「死」を突きつけられた20歳

20歳のときに私の人生に
大きな大きな波がやってきました。

 

実は私にはおばあちゃんがいまして、

両親の仕事が忙しかったのもあり
おばあちゃんがよく私の
面倒をみてくれていました。

そして、私はおばあちゃんのことが
とってもとっても大好きでした。

 

夏休みはずっとおばあちゃんと一緒。
うちわを片手にふんわり。

『かほちゃんはね、小さい頃
ばーちゃんが遠くに見えると
でんげり(転び)そうになる位に
必死になって駆けてきてね…』

そう満面の笑みでニコニコ
昔話をするおばあちゃんの横で

「おばあちゃん、もうその話
何度も聴いたよ〜。笑」
と照れ笑いをするわたし。

 

夕飯前におばあちゃんちで
お菓子をいっぱい食べちゃって

おばあちゃんがわたしの父に
よく怒られたりもしてたけど、笑

遊びにいくと毎度こりずに
いたずらっぽい顔で笑って
こっそりお菓子をくれる。

 

厳しい家庭で育ったわたしを唯一
甘やかしてくれた人でした。

どんなときも応援してくれて
味方でいてくれた大好きな人。

通信簿も、賞状も、
わたしが1番に見せにいくのは
まずおばあちゃんのところでした。

おばあちゃんの前では
わがままも言えたし素直な自分でいられました。

 

しかし、
そんなおばあちゃんは

…わたしが20歳のときに
天国に旅立ってしまったのです。

 

もっと会いにいけばよかった。
もっと話しておけばよかった。

もっと…もっと…っ

 

あまりに急なことだったので

目の前から大切な人が消えて
ただただ涙が止まりませんでした。

 

恩返し、間に合わなかった。

もっとしてあげたいことが
沢山あったのに…っ

まだ元気でいてくれなきゃダメだよ
ねえ、おばあちゃん…おばあちゃん…

 

今更後悔しても悲しんでも
もう二度と戻ってこない。

 

もう二度と大好きな声で
名前を呼んでもらえない。

もう二度と大好きな手で
手を握ってもらえない。

受け入れられませんでした。

大切な人を失ったときに
時間は止まらないことを
はじめてちゃんと知りました。

今この瞬間も砂時計のように
命の砂がこぼれ落ちていることも
ちゃんと、知りました。

 

ーーーそこから紆余曲折あり

実家を出て会社を起こし
港区で社長になりまして。

お盆に実家に帰ってきてすぐ
おばあちゃんのもとへいきました。

 

「ばあちゃん、…ただいま」

かほだよ、わかる?
会いにきたよ。久しぶり。

そっと墓石をなでて。

ミーーーン ミーーーン…。
セミの声とひまわり畑。

小さい頃から変わらない。
田舎の溶けるような夏の青。

 

あのね、わたしね…社長になったのよ。

おばあちゃんがいなくなってから
東京でね、頑張ってるの。

 

あのね、ほんとうは…

…ほんとうは直接、
言いたいことがいっぱいあるんだけど

ちょっと言葉が出てこないや…

 

新盆。夏の青い空の下。
お墓の前で泣きました。

 

かほちゃん、おかえりなさい
ってぎゅってしてほしい。

 

あったかい手で頭をなでて
それで、話をいっぱい、
いっぱい聞いてほしい。

起業してからのこと。
これからのこと。

話したいことがね、
本当はいっぱいあるのに…

 

今のわたしを見たらきっと
1番喜んでくれるであろう
大切な存在を失った20の夏。

失ったからこそ見えたものもあり、

やっぱりいつまで経っても
大好きなおばあちゃんに
わたしは支えられています。

 

この文章を書いている今も実は
涙がボロボロ止まらないんだけど

とても大切な、大切な出来事です。

 

脳の血管が消えていく…

しかし、まぁ運命は残酷なもので

実はおばあちゃんが亡くなる少し前
わたしは病気が発覚していました。


脳の血管が細く薄くなり

やがて消えていってしまう

厚生労働省指定難病の1つでした。

 

医師から告げられた言葉は

「現代の医学では治りません」
「手術で進行を遅らせることしか…」

足元からガラガラと崖が崩れていくような
そんな絶望感でいっぱいになりました。

そしてそのときの私は自分よりも
家族の方が心配でなりませんでした。

 

あんなに心配性な父母なのに。

これから先どれだけの迷惑と心配を
かけてしまうことになるんだろう。

病気って本人だけの問題じゃないから
こんなにも、辛くて、怖いんだ…

「胸が…痛い……」

かすれた声で絞り出すように呟く。

はじめて本当の病気の重さを知り
胸の上で拳をぐしゃっと握りしめた。

 

それまで無遅刻無欠席の
健康優良児だったわたしは

病気をしてはじめて
若さと健康のありがたみを知りました。

 

手術後の病院のベットで
ピクリとも動けなくなったとき。

まるで自分が自分じゃないみたいな
ゾッとする感覚でした。

 

歩きたくても体が動かない。
目が開けない。頭は激痛。

足には血栓予防のマッサージ機が
取りつけられぐつぐつと音を立てている。

熱い。苦しい。痛い。
地獄の釜の中にいるようでした。

 

……そのときに、
ああ、自分は随分幸せだったんだな
と気がついたんです。

 

元気な2本の足でどこにだって
歩いていけたはずなのに。

目で見て、頭で考えて。
喋って、笑って。

そんなありがたい日常を
失ってはじめて気づくなんて。

 

声を押し殺して泣きました。

「まだ若いのにね」

そう、まだ私は若かったんです。

だから、
時間が無限にあるような気がしていたし
今の健康がずっと続くと思ってたんです。

 

パチン、とシャボン玉が弾け
わたしは夢から醒めました。

 

2つの死と向き合い。

20歳。

大切な存在を失い
病気という十字架を背負い、

痛いほど「死」の銃口を
突きつけられた時期でした。

 

普通40代、50代になって

体が痛くなってきて
同級生が亡くなって

「人生の終わりがくる」
ことを悟っていくんだろうけど、

20歳でわたしの手のひらには
人生の終わりのカケラが
ぽとりと落とされました。

 

・自分がどう生きたいのか
・なにをしたいのか

ひたすら考える期間でした。

 

この話をさせてもらったのは、

同情してもらいたいわけでも
お涙頂戴なわけでもなくって

わたしを形作る上で
凄く大切な経験だからです。

正直話すのも凄く迷いました。

 

それでも話したのは
私がこの経験をしたのは
誰かに伝えるためだと思ったから。

普通に生活していたら忘れてしまう
当たり前なんかじゃない大切なことに

たった1人でもいいから届いて、
どうかそれが変わる勇気になれば。

 

「いい子」な人生を捨て
「わがまま」な人生へ。

大きく殻を破った私だからこそ
伝えられることがあると思ったから。

 

今までの人生ずっと
ルールや我慢の連続だった。

やりたいことより
やらなきゃいけないことをして

大人のルールに従って
周りの言うことを聞いて。

そしたらいつか幸せになれるから、と。

 

でも…いつかっていつだろう。

ああ、なんだ。

子どもの頃は、学校や家で。
大人になったら、会社で。

当分何も変わらないじゃん…

 

いつか儚く消える命なら。

わたしは、好きな人のそばで
少しでも長く笑っていたい。

自分も、目の前の人も、
明日にはいないかもしれない。

それを痛いほど学んだからこそ。

いつかくる大きな幸せよりも
毎日が楽しいほうが私には遥かに大切だ。

だってそのいつかが来る前に
動けなくなるかもしれない。

今、幸せじゃなきゃだめなんだ。

 

人間死に方は選べないけど
生き方は自由なんだ。

 

こうして私は、わがままな人生を
歩んでいくと決めました。

 

もちろん両親は大反対。

就職しないなんて許さない。
今家を出たら親子の縁を切る。

と胸ぐらを掴まれたりもしました。

(今は両親は心配はしつつも
暖かく応援してくれています)

 

仕事、仕事、仕事…

一度きりの人生は、
仕事をするためにあるのだろうか。

毎日お金のために働いて
働けなくなったら首を切られる。

そんなお金の恐怖に怯える人生は嫌だな。

 

もし明日死ぬってなったら
仕事とか地位とか名誉とか
全部全部取っ払って

ただ、好きな人と1分1秒でも
私は長く一緒にいたいな…

そんなささやかな願いでも
叶わない人が大勢いる世界だからさ。

 

偉くなりたいわけじゃない。
大富豪になりたいわけじゃない。

ただ、我慢ばかりの人生は嫌だ。

だって自由でいられる時間は
思ったよりずっとあっけなく
終わってしまうものだから。

 

…就活時代に、このグラフをみて
思わずゾッとしたことがありました。

 

気がついたんです。

これまでの私は十分自由だった。
どこにでも行けたし何者にもなれた。

環境を言い訳にして、
自分には無理だと決めつけ諦め
変わろうとしてなかっただけだった。

私は、ずっと自由だったんだ。
それなら。

 

そして、慣れないパソコンを開いた。

大学生 起業 方法

 

こうしてわたしの起業人生が幕を開けた。

 

そして現在へ

こうしてわたしは就職せず
自分で起業することを決めました。

 

「社長になりたい」
「億万長者になりたい」

じゃなくて

「好きなことをして生きていたい」
というモチベで起業したタイプの人間です。

 

なので、

金稼ぎが全てだと思ってないし
時間を大切にしたいので
自動収益化にこだわりました。

労働での最高月収よりも
自動での安定月収に価値を置きました。

 

高級車やブランド品を買って
「若くして成功して凄いね!」

と言われることに快感を覚えて
がむしゃらに仕事をする人もいるけど

わたしは別に
凄くなくていいからお金と時間ほしい。
それで好きな人と好きな事していたい。

という感じだったので

(成果が出るのは嬉しいけど
競走したいわけじゃないしね)

 

そのスタンスを貫いて
まじめに資産を構築した結果、

自分が想像していたよりも
ずっとわたしを自由に、
遠くまで連れてきてくれました。

 

・何をやれば売上は上がり
・何をやればアクセスが伸び
・何をやれば成約率が上がるか?

日々何をやるべきなのか学んだ後は
やるだけ状態の勝ち戦でした。

 

勝手に入ってくる収入。
寝ていても入ってくる収入。

それは収入の安定以上に
心の安定を生みました。

将来への不安と恐怖が消えて
心も体も軽くなりました。

 

変わる決断をした過去の自分には
100点満点のはなまるをあげたいです。

 

0から年収3000万への道のり

もともと埼玉のど田舎で
田んぼと共に育った女子大生なので

初めは起業の世界とは無縁の生活でした。

 

大学の専攻も心理学だったので
大学でビジネスを学べる環境が
あったわけじゃないし

経営者の家に生まれたわけでもないし
特別なコネがあったわけでもない。

 

知識, 経験, 人脈, お金
全てゼロスタートから始まりました。

 

当時大学生だったわたしにとっては
ビジネスの世界は異世界でした。

ワクワクすると同時に、怖かったです。

でも自分の鬼のように狭い世界から
抜け出す方法はただ1つ。

異世界と絡むことだけでした。

 

「こんなの読んでもらえんのかなあ…」
「本当に売れるのかなあ…」

最初はTwitterもブログも
やることなすこと全てに自信がなくて半信半疑。

 

それでも、
勉強したら勉強した分だけ
作業したら作業した分だけ。

結果が返ってくる起業の世界に
わたしは夢中でのめり込みました。

 

何より、やらされているのではなく
自分で選んだ道を進んでいくのは
やっぱりワクワク度が桁違いでした。

 

商品が自動で売れていくのも、

それによってお客さんから
感謝のメールが毎日届くのも、

好きや得意を活かして働くのも、

全部0から作り上げてきたからこそ
涙が出るほど嬉しいことで。

 

がむしゃらに数字だけを追いかけたり
人を蹴落として競走することができない
わたしだから最初は不安だったけど。

今まで自分なんて居ても居なくても一緒。
まるで空気みたいな存在だと思っていたけど。

 

「かほさんと出逢えてよかった」
「かほさんの存在に本当に救われたんです」

と泣いてくれるお客さんたちを見て
わたしも涙が止まらなかった。

 

お客さんの中には
同じように大切な人を亡くしたり
自分や家族が重い病気にかかっていたり

つらい経験をされている方が
思ったよりも多くいました。

みんな悲しみや焦りを隠して
普段生活している。

我慢して、見ないふりして、諦めて。

その人たちを見ていて改めて思ったんです。

…わがままに生きられる大人を
増やしたいんです。わたしは。

 

そのために何ができるか考えた時に、

私はお金を手にした今、
「稼ぐこと」にはあまり興味がなく
「感動」の方が興味があります。

感動はするのもさせるのも好きです。

 

昔の名残か、マンガや映画は
寝食を忘れて1日中ずっと見ていられるし

ストーリーによって
心が動く瞬間がたまらなく好きです。


わたしが煽らないライティングで

商品をバチッと狙って売れる理由は
ストーリーを研究してるからです。

実店舗でも書籍でもイベントでも
どの分野でも売上を上げてきました。

やっぱりお客さんに喜ばれながら
そして自分も人生楽しみながら

売上をしっかり上げるのが
とても大切だと思っています。

そこにストーリーの力は欠かせない。

 

わたしは情報発信ビジネスで
人生を変えてもらったから。

今度は同じように悩んでる人に
人生の変え方を教えてあげたい。

そのような思いで現在の
ストーリー×ライティングの
文章力爆上げメルマガが誕生しました。

 

目先の利益に飛びつかず
コツコツ資産を作り上げた結果、

今ではホテル暮らしをしながら
全国を旅して回り、

好きな時間に起きて
好きな時間に寝て。

好きな人とだけ交流して
仲間や家族との時間を大切に。

パソコン1台で
好きなときに仕事ができる。

 

幼い頃のわたしが夢にまでみた。

マンガの主人公みたいな
自由な世界がいま広がっています。

 

周囲の意見に振り回されずに
自分の進みたい道を進むだけの
自由に使えるお金と時間。

そしてそれを生み出すスキルを
手に入れることができました。

 

そして

わたしは今の自分に
少しだけ自信が持てるようになりました。

八方美人で悩んでいたけど、
可笑しいから笑ってるんじゃなくて
相手に笑ってほしいから笑ってる。

それでいいんじゃあないかな。
と今は思うんです。

自分がいたら空気が柔らかくなって
みんなの心が和むんだったら。

それが私にとっての幸せだから
今日も私は笑うんです。

 

そしてわたしの周りの起業家は
まじめな人や夢を追う人を
バカにしたりしないから

本音でぶつかれる存在と
何人も出逢えたことで
わたしも大きく変われました。

 

売上だけを追いかけた結果、
死ぬときに握りしめているのが

あたたかい人の手じゃなくて
かさついた札束だったら悲しいじゃないですか。

 

起業によって得られる財産は
お金だけじゃないと感じています。

 

まとめ。そしてこれから。

まだまだこれから
やりたいことは沢山あります。

ワクワクすることを追いかけ
キラキラ楽しそうな人と一緒に
感動を生み出す仕事をしたいし

死ぬまで、ときめいていたい。

 

周りに流されまくりで
親に隠れてマンガを読んでた子が

知識という武器を手に入れ
ちょっとの勇気を振り絞り
思ってもみない世界へと180°変えてしまった。

幼い頃に夢みていた世界が
現実になってしまった。

 

1ヶ月でも本気出せば
劇的に人生は変わります。

 

はじめは小さくてもいいから
ネット上にコンテンツを作りまくるだけで
たった1人でも大きな富を生み出します。

アナログ人間でSNS嫌いだった自分が
人々に影響を与える側になってるなんて
想像もしていなかったし

安定思考で人の顔色を伺ってた自分が
クリエイティブな仕事につくなんて
思ってもいなかった。

 

必要なのは、
ほんのちょっとの
“変わる勇気”です。

 

知らない世界に飛び込むの、
怪しいし怖いですよね。

でも飛び込まなかったら
人生がこんなにも面白いものだなんて
私は知ることができませんでした。

自分で決められる人生は
失敗すらも楽しいなんて
気がつかずに一生を終えていたでしょう。

 

お金が余るようになると、
余ったお金で色々な経験ができます。

すると経験値が増えて、話面白くなって、
沢山の人に価値を提供できるようになるから
余計また儲かってしまいます。

こんな超プラスのスパイラルが
発動してくれる今の状態がとても幸せです。

 

自分が変われたように
今度は人生を変える人を作りたい。

もっと人々の心を動かせる
コンテンツを届けていきたいし、

みんなで夢を叶えていきたい。

 

わたしはまだまだ
冒険に出かけていくので

ぜひ一緒に遠くまで行きましょう。


バリ島の海より。

 

数あるブログの中から、
私を見つけてくれてありがとうございました。

 

この出会いがあなたの人生を変える
ターニングポイントになりますように。

 

 

追伸:

※今回は自己紹介ということだったので
「ビジネスについてもっと知りたい」
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苦悩と挫折と再出発。

今回は
『ビジネスを始める前』の話でしたが、
『ビジネスを始めた後』の話をしています。



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