マンガ×ビジネス

【映画:花束みたいな恋をした】
この映画がリアルで刺さる理由。
理想と現実。どちらで生きるか?

いや、つらい。

何この映画リアルすぎる。

 

どうも、かほです。

今日は「花束みたいな恋をした」
という映画を観てきました。

もーーーーばちぼこにリアルすぎて
しんどかったです。笑

 

男性側の気持ちもわかるし
女性側の気持ちもわかる。

「いつかこの恋を思い出して
きっと微笑んでしまう」

映画を見終わったあとは
この言葉の意味がすっごく
染みて理解ができるので
今すごくつらいです。笑

もう感情が渦巻きすぎて切ない。
ぐおお、誰かどうにかしてくれ。

や、でもすごく良い映画でした。
私は割と答えの出ない問を
考えるのが好きなので結構好きな
映画でした。色々考察できるので。

 

モノローグの使い方が絶妙でした。
小説読んでるみたいだった。

今回のテーマ、というか
キーポイントとなるのが
「理想と現実」です。

 

恋愛(理想)と仕事(現実)の
すれ違いが起こってくるっていう。

 

仕事の面だけにフォーカスしてみても

絵描きになりたい男の子(理想)
→会社員へ(現実)

事務仕事をする女の子(現実)
→イベント会社へ(理想)

一方は理想を諦め、
一方は理想を求める。

ここのすれ違いとか。

男と女。
責任と好き。
社会人と学生。
サラリーマンと起業。

色々と対比できるんですよね。
これでどっちに共感できるか、で
10時間は話してられる。

 

最後のファミレスでのシーンも
初々しいカップルをみて

男の子は
かつて捨ててきた理想

を重ね合わせ、

女の子は
今も求めている理想

を重ね合わせます。

 

2人で涙を流すのですが

「もう戻ることができない過去」
に涙を流しているのか

「もう叶うことのない未来」
に涙を流しているのか

ここでも2人の涙の意味は
違ったんじゃないかなと思います。

 

この映画は「すれ違い」っていうのを
映画全体を通して強弱をつけて描いています。

この相入れない部分っていうのが
本当に人間くさいし、愛おしい。

 

あと、アイテムを作るのが上手い。

イヤホンだったりクツだったり。
細かいところならカーテンとか
トイレットペーパーとかマンガとか。

パン屋さんとか、ね。

 

2人がつき合うきっかけになった
イヤホンが徐々に遮断に使われたり。

運命を感じたおそろいのクツが
徐々に仕事用のクツになり
それを履いて別々の世界に歩いていく。

 

趣味や文化が2人を惹きつけ、
趣味や文化が2人を引き離す。

これがどうしようもなくつらいんです。

いやもうね、めっちゃリアルだった。
心臓が痛かった。

文化的だったはずの人間が
仕事に追われる日々で
死んだ顔でパズドラするシーンとか
リアルすぎてえぐかったです。

 

でもなんでこんなにアイテムが
出てくるのか?

それはこの映画の題名にもある
「花束みたいな恋をした」

につながってくると思いました。

 

劇中でこんなシーンがあります。

「女の子に花の名前を教わると
男の子はその花を見るたびに一生
その子のことを思い出しちゃうんだって」

このとき、主人公の女の子は
男の子に花の名前を教えることは
ありませんでしたが、

2人が共有した思い出っていうのは
1つ1つが花みたいに確かな記憶として
残り続けて、ふとした時に思い出します。

その描写が
めちゃくちゃあたたかくて、切ない。

一種の魔法であり、呪縛ですよね。

 

2人が共有した幸せな時間は
たしかにそこに存在した。

人生史上最高の恋をしたわけです。

それを花束に重ねているのがなんとも。

 

この作品ではお互いのことを
一度も「好き」と言いません。

「好き」という言葉を使わず
「好き」を表現する脚本家さん。

えぐい。こういうの大好きです。

社会の不条理から逃げる人間模様

かりそめの成功を作る、のが
結構面白いストーリー展開ではあります。

今回も何度か出てきました。

転職に成功したり
プロポーズを受け入れかけたり。

 

そもそも、

主人公の女の子と男の子は
社会から身を引くことによって
幸せな暮らしを体現しようとしました。

社会や世の中の不条理に巻き込まれない
場所と時間を確保します。

そして「ぼくら2人だけの世界で」
という風に生きていくわけです。

一見幸せそうに見えるし、
紛れもなく本人たちは幸せでした。

 

この作戦は最初はうまくいくのですが
徐々に「好きなことで生きていく」のが
厳しいという現実が立ちはだかります。

非常に低価格でイラストの仕事を請け負う姿は
この世の縮図のようで胸が痛かったです。

(起業すればいいのに、と
劇中ずっと思ってました。笑)

 

劇中で印象的だったフレーズ。

「社会に出ることはお風呂に入ること。
入るまではめんどくさいけど
入っちゃったらよかったあって思うのよ」

きっとこれが世の中的には
常識に近いと思います。

ただですね。
登場人物の1人がお風呂で亡くなるんです。

社会に出たら死ぬ。

そんな暗示がされているように
わたしは思いました。

極論ではあるけどね。

 

かつては共有できた好きなものが
どんどん共有できなくなっていって

同じものを見ていても
心が通わなくなっていく。

終電を逃してしまうくらいに
話したいことが尽きなかった2人が
最後には「話そう」と言わないと
話せなくなってしまっていました。

しかしどこまでいっても結局は
似たもの同士の2人は

最後の瞬間まで豊かな情緒性があり
お互いに新しい恋人ができたら
ひそかにエールを送り合う。

 

この2人はこれから先、
どこで誰と結婚しようが、

常に心の核にお互いの存在が
あり続けるんだろうなと思いました。

 

社会が理不尽だからこそ。
世界が不条理だからこそ。

文化や思い出の共有をするって
人間にしかできない尊い生産行為なのだと
そう感じてならなかったです。

 

結局この世は自己満足でしかなくて
自分が信じたいものを信じるし
自分が見たいものを見ます。

そしてその価値観は変わっていくし
その波に身を任せることも
その波に争うことも自分次第。

 

変わりたい。変わりたくない。
変わってほしい。変わってほしくない。

この世は諸行無常なので
結局今この瞬間のノリと空気に乗って
精一杯生きていかざるを得ません。

 

本当に色々と考えさせられましたね。

ストーリーの魅せ方や
人間の不変的な葛藤や苦悩。

ビジネスチャンスになるものも
見つかったのですが、

それよりもこころの折に触れる感情の丈を
つづりたくなっちゃったので
ばーーーっと書いてみました。

 

P.S.

私はこの映画を観てひそかに
泣いていたのですが、

この映画を観て泣ける人は
「花束みたいな恋」を
本気でしてた人なんだと思う。

というコメントを見つけて
映画を観た後のどうしようもない
切なさが温かさに変わりました。

たしかに言われてみれば
この映画を観てる時は
始終自分に重ね合わせてましたね。

ずっと不思議な感覚でした。

「徒歩30分の帰り道が
何よりも大事な時間になった」
とかね。超わかる…泣く…。

 

もしこの映画観て泣いた人と
お酒でも飲みながら
めちゃくちゃ語り合いたいです。笑

 

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