はじめまして!かほです。
ブログを見つけてくださって
ありがとうございます^^
この出会いがもしかしたら
あなたとわたしの人生を変える
ターニングポイントになるかもしれません。
そうなれたらいいなと思って
誠心誠意、書いていくので
ぜひ最後まで読んでいってください。
ちょっと長いのではじめに目次を一通り
読んでいただいて
全体の流れを掴んでからの方が
理解しやすいと思います。
⬇️ ⬇️ ⬇️
はじめに
自己紹介をさせていただきます。
わたしは現在大学3年生の21歳です。
今は大学に通いながら、授業とバイトの合間に
ネットビジネスをやっています!
ブログは大学3年の9月から始め
今2ヶ月くらい経ちました。
現在は年収3億の起業家のもとで
ネットビジネスを学んでいます。
実績としましては、
ビジネス開始2週間で
初収益11450円をあげ、
1ヶ月で5万円、
2ヶ月で56万円稼ぎました。
メルマガ読者数は100人を超え
Twitterのフォロワーは2ヶ月で
3500人を突破しました。
セミナーや懇親会を開催して
ネットビジネスで稼ぎたい人に
アドバイスをしたりもしています。
これだけ聞くと
どんな怪しいことをしているのかと
思われるかもしれませんが、(笑)
わたしが学んでいる内容は
せどりやFX、MLMではなく
ネット上に仕組みを作ることで
この先何十年も
自動的に売り上げが上がるような
ビジネスモデルを組むことです。
なぜこのビジネスモデルを選んだのか?
それはわたしはお金だけじゃなくて
時間も手に入れたかったからです。
作業をやめてしまったら
収入が減少してしまう。
そういうビジネスモデルでは
一生労働者のままです。
それでは本当の意味での
自由に生きることは叶いません。
わたしは、最高月収よりも
安定月収を高めていくことを目標に
ネット上に仕組みを構築しています。
わたしの理想の人生について
箇条書きで書いていきます。
・大切な人と一緒に過ごせる時間を増やしたい
・平日でも休日でも好きなタイミングで家族を旅行に連れて行ってあげたい
・夢や目標がある仲間に囲まれて仕事をしたい
・値段を気にせず美味しいものを沢山食べたい
・ストレスを抱えずに綺麗で若々しくいたい
・失業という言葉に怯えたくない
・若くても女性でも人を守れる大人になりたい
・早く自立して親孝行/おばあちゃん孝行したい
・お金がかかるという理由で我慢をしたくない
・嫌な人間関係に心を病みたくない
・好きな時間に起きて朝をのんびり過ごしたい
・安い物爆買いではなく高くても良い物を大事に使い続けたい
・残業/飲み会/出世競争に巻き込まれたくない
・何かをがんばっている人たちと繋がりたい
・時間・場所に縛られた働き方をしたくない
・月1で綺麗な温泉旅館でのんびりしたい
・高級焼肉、高級寿司を食べに行きたい
・自分にしかできない仕事をしたい
・体調が悪い日は何も気にせず寝ていたい
こうざっと見てみていただけるだけでも
お分かりいただけるかと思うのですが
わたしの理想の人生は
お金にも時間にも場所にも縛られることのない
自由な生活を送ることです。
お金だけあればしあわせ
というわけではありません。
世の中
お金よりも大切なことが山ほどあります。
だからこそわたしは、
お金のことで悩みたくありません。
お金と時間がないと人は不幸になります。
お金や時間がないことによる我慢が
やがてイライラを生み、八つ当たりに変わり
人を思いやれなくなります。
わたしは自分もしあわせになりたいし、
大切な人のしあわせを守れる
自立した女性でありたい。
お金にも時間にも自由な人生にしたいし、
好きと楽しいで溢れる人生にしたい。
働く以外に、やりたいことだって沢山ある。
そしてそれは全部
叶えられない夢なんかじゃない。
ネットビジネスを通して
実際に叶えている人はちゃんといます。
この世界に入ってから、
やるかやらないかは自分次第だと
耳にタコができるほど教わりました。
本当にその通りだと思います。
夢を夢のままにするのか
現実のものにするのか
全部自分の選択次第です。
わたしは、家族からの大反対を押し切って
通っていた公務員予備校を辞め
就職ではなく起業の道を選びました。
「時間給で雇われる」働き方では
わたしの理想の人生は叶えられないから。
今は一歩ずつ一歩ずつ理想の未来へと
自分の足で突き進んでいます。
ZERO
わたしは完全なるゼロスタートでした。
知識もゼロ
経験もゼロ
実績もゼロ
人脈もゼロ
スキルもゼロ
才能だってないし
リーダーシップもない。
昔から大人しくて
泣き虫の意地っ張りだった。
本音を言うと
こんなゼロスタートで
成功する確証もないのに
就活を辞めるというのは
怖くて仕方なかったです。
ネットで稼ぐなんて怪しい。
何か悪いことでもやってんじゃないか。
そう思われることも本当に嫌でした。
でも今となっては
初収益もあげ、
ほんとに少しずつ、
少しずつではありますが
努力が実り始めています。
今までつらいこともたくさんありました。
分からなくてしんどくて怖くて
暗闇の中を手探りで歩いているような時期も
ありました。
でも、それと同時に、
全部新鮮で楽しくて
お客さんが喜んでくれるたびに嬉しくて、
自分ができることが少しずつ増えていって
そのたびに自信がついて人生が明るくなって、
毎日が楽しくなりました。
こんなにも学ぶことが楽しいものだと
知ることができたのは人生で始めてです。
それもこれも
自分から望んで選択したからこそ
一切後悔がないんです。
お金だけじゃない、大切なことを
ネットビジネスを通して
手に入れることができています。
ゼロからのスタートだった。
なんの強みも取り柄もなかった。
それでも
一歩、また一歩と進むたびに
自分の人生が変わる音がします。
そしてこれから先も
まだまだ未知の世界です。
どんな景色を見ることができるのか
どんな人たちに出会えるのか
楽しみで仕方がないです。
わたしよりも年下の起業家は
たくさんいますし
実力も実績もある人たちが
たくさんいる世界を前にして
いまさら遅いかも、と
思ったりした時もあります。
でも、
自分にとって1番若いのは
今この瞬間なんですよね。
遅いなんてことは絶対にないです。
遅い早いなんて
誰が決めるんだって話です。
わたしは自分が1番若いときに
ガンガン挑戦して成長していきたいです。
このブログでは
わたしが年収3億の起業家から得た学びを
わかりやすく再現性の高い情報に加工して
お届けしていきます。
ぜひ興味のある記事から
どんどん読んでいってください。
わたしが活動をする上で
わたしという人間がどういう人なのかを
共通しておくことで
より理解していただきやすいと思うので
過去の物語を今からお話していきますね。
ーー
ーーーーー
ーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーー
やさしいねと言われることは多かったけど
泣き虫で怖がりの意地っ張り。
引っ込み思案で人見知りな上に
人に気を使いすぎてしまう。
そんな21年間を過ごしてきました。
悟りました。幼少期
〜お姉ちゃんと比べられて育つ〜
絵を描くことがだいすき
動物がだいすき
おばあちゃんがだいすき
保育園の先生がだいすき
ピアノの先生はちょっと怖かった
将来は、保育園のせんせいか
イルカショーのおねえさんになりたい。
絵本を暗記して
先生の真似をして練習したりしてました。
ただ、かなりの引っ込み思案で
知らない人の前では一言も発せず。
親戚の前でも、こわばる顔。
お姉ちゃんはあんなに堂々としてるのにね
お姉ちゃんは面白くて元気なのにね
お姉ちゃんの方が愛嬌があるね
何度聞いてきたセリフだろうと思います。
今も耳にこびりついています。
その結果
「自分って可愛くないんだ」
と自分の外見にも内面にも
自信がなくなってしまいました。
悔しかったし悲しかった。
わたしだって本当は
みんなを笑わせたり
褒められたりしたかった。
お姉ちゃんみたいになりたい。
その思いで一生懸命真似をしていました。
でもやっぱりピアノも
お姉ちゃんの方が上手で
喧嘩しても泣かされてばかり。
勝てっこない。
ずっと諦めの境地にいました。
そんな劣等感を抱きながら
生きてきたわけなんですが
今ではだいぶ自分に自信をつけることが
できるようになりました。
ネットビジネスについての情報をひたすら集め
夢中になって学びまくっているとき。
ブログから始まり、YouTube、メルマガと
どんどん挑戦の幅を広げているとき。
「わたし変われてるなあ」と思うんです。
メルマガもブログも
はじめは全然うまく書けなかったけど
徐々に、1人、2人と読者が増えていき
「わかりやすい!読みやすい!」
と言ってもらえるようになりました。
そうなるとどんどん書くのが楽しくなって
もっともっと!と発信していくうちに
嬉しい出会いがたくさんありました。
・わたしがおすすめした本を買って
報告してくださる方だったり
・ブログを新しく始めようと思うんですと
公表前のサイトの添削をお願いされたり
・21歳のわたしにコンサルしてほしいですと
相談してくださる50代の方がいたり
どんどん人が集まってくるようになりました。
実績ゼロのわたしだったけど
発信内容に共感してくれたり
発信が役に立ったことで
少しずつ人が集まり
小さな小さな実績が積み上がってきています。
これはわたしにとって
ものすごい自信になっています。
そしてもっともっとこの輪を広げていきたい。
そのために一生懸命に頑張っています。
亀を拾ってくる小学生時代
〜埼玉のド田舎で育ちました〜
可愛いお人形さんよりも、
魚取り用の自分の背丈くらいある
でっかい網を買ってもらって
大はしゃぎする小学生でした。
1学年25人しかいない
田舎の小学校に通ってました。
ちなみに少子化すぎて
現在は廃校になりました(泣)
周りを見渡しても
田んぼ、田んぼ、田んぼ…
その辺の川に亀とか転がってるんで
持ち帰ってきてよく飼ってました。
木登りしたり
魚取りしたり
蝶々取りしたり
真っ黒になって毎日遊んでました。
勉強よりも遊ぶことばっか考えてました。
そんなわたしでしたが
中学で大変貌を遂げます。
後々そのお話もしますね。
わたしの大好きな人
〜祖母の家が第二の実家〜
両親が共働きなので小学校の頃は
父方の祖母の家にずっと帰っていました。
この祖母がのちに
わたしがネットビジネスをやる
1つのきっかけとなります。
おばあちゃんとの思い出はたくさんあります。
普段の学校がある日はもちろん
夏休みもずっとおばあちゃんの家にいました。
プール登校が終わって帰ってきて
一緒にフルーツポンチを食べて
キジバトの声を聞きながら
おひるねをしたりしていました。
おだやかな夏の日でした。
冬は、少し毛玉がついたこたつに
おばあちゃんと一緒にくるまって
ストーブの上で焼き芋が焼けるのを
おじゃる丸を見ながら待っていました。
私はその時間がとても好きで、
「しあわせだなあ」と子どもながらに
思っていたのを覚えています。
豪快で繊細で、
みんなから愛されている、
そんなおばあちゃんに育てられながら
いよいよ中学生になります。
暗黒にして絶頂期。中学時代
〜真面目といじめられる中学時代〜
地元の中学に進学しました。
が、幼少期からの
引っ込み思案な性格もあり
新しい人間関係にビビりまくり。
同じ小学校以外の同級生とは馴染めずに
ひっそりと過ごすはめになります。
結果、周りからは
「真面目ちゃーん」「おい、真面目〜」
と呼ばれる始末。
そのせいで真面目って言葉が
大嫌いになりましたね。
周りからはなんとなく
「別次元の人」という壁をはられ
結局中学の同級生で気の許せる友だちは
1人もできませんでした。
この時の私のただ1つの目標は
「同級生が1人もいない高校に行くこと」
そのために必死で勉強しました。
その甲斐あって、中学3年間
・通信簿は全教科オール5をキープ
・成績も学年主席をキープ
・偏差値73
・無遅刻無欠席
そんな<超優等生>であり続けました。
とにかく必死でした。
もともと自分に自信がなかったため
勉強をやめてしまったら
自己肯定感を保てる気がしなかったんです。
もし勉強で負けてしまったら
確実に不登校になる。そう怯えていました。
小学生まで亀拾って遊んでいたばっかりに
全然勉強してこなかったので
最初はめちゃくちゃ苦労しました。
ただ、この環境から抜け出したい。
その一心でひたすら机に向かってました。
無事、同級生が1人もいない高校に進学し
ゼロからのスタートを切ります。
ちなみに地頭が良いわけではないので
高校生の時はクラスで下から2番目とか
普通に叩き出してました。
(そのせいでまた劣等感を抱く)
(祝) ぼっち、ともだちできる
〜1時間かけて電車通学してた高校時代〜
結構遠い高校に頑張って通ってました。
そんな高校でも、期待を裏切らない
バリバリのコミュ障を発揮しましたが
ありがたいことにこんなわたしに
話しかけてくれる友人ができました。
大学2年の冬には
2人でヨーロッパ5ヶ国周遊
なんてこともしてきました。
私は大学でも結局、
この先も付き合っていくだろうな
というくらい仲の良い友人はできなかったので
高校時代の友人はとても貴重な存在です。笑
今でも焼肉に行ったり
北海道旅行行ったり
大阪旅行行ったり
高校時代に出会えた
数少ない(笑)友人たちには
とても感謝しています。
(わかる人にはわかる) 奇数は地獄
〜わたしの友人観〜
ここで、わたしの友人観というか
対人関係観についても少しお話します。
わたしは3人で仲良くとか
超苦手なタイプです。
奇数になると
どうしても一歩下がって
譲ってしまうんですよね。
常に聞き役に徹します。
広がって歩いたら迷惑かなとか
考えてしまうので
歩くときも2人が前で私1人後ろ
つい一歩下がって歩いちゃう。
そして自ら生み出した疎外感に打ちひしがれる。
自分でもなにやってんだと思います。
だから今でも人と出かけるときは
1対1が好きです。
自分のペースで
好きなように会話を進められるし
濃い話ができて楽しい。
わたしの人付き合いは
完全に狭く深くタイプです。
なので友だちと呼べる人は
かなり少ないです。笑
令和のスーパーアナログ人間爆誕
〜SNSへの苦手意識〜
対人関係の話からもう1つ。
わたしのSNS観についてです。
わたしはネットビジネスを始めるまでは
SNSで人と繋がるの、ハッキリ言って苦手でした。
基本的に1人行動が好きなので
そっとしておいて欲しいと
思ってしまうタイプです。
本当に好きな友だちとはLINEで
繋がってるからそれで十分。
なんで家にいる時まで
行動を把握し合わないといけないの?
なんて本気で思っていました。
あとは単純に
自分と仲の良い子が別の子と遊んでるとか
知ったところで絶対に嫉妬しちゃうんですよ。
友だちが少ないもんだから。笑
自分がそのタイプだって分かっていたので
TwitterもInstagramも
21年間、使おうと思いませんでした。
嫌な気持ちになるくらいなら
見なくて良い!見る必要なし!
とバリアはってましたね。
ちなみに現在も
プライベートアカウントは持ってません。
が別に不自由はしてないのでOKです。
Twitterもビジネスアカウント作るために
初めてインストールしました。
そのくらい現代っ子には珍しいくらい
SNSには疎かったです。
ネットの世界に全く興味がなかった。
ゆえに完全にゼロスタートでした。
ネットビジネス始めようと思っている人、
絶対に大丈夫です。
こんなわたしでも出来ているので。
機械に疎い人も大丈夫。
ネットビジネスに複雑な設定は
必要ないです。やってみればわかります。
パスポート紛失&罰金200ドルとられる大学生時代
と、こんな感じで
外界をシャットダウンしつつ
21年間生きてきたわけなんですけど
現在は現役の大学生です。
E判定からの逆転合格で
お茶の水女子大学に合格しました。
日本最高峰の女子大。
ずっと憧れだったので
入学式で門をくぐったときは
本当に嬉しかった。
ここで大学時代のエピソードを1つ
お話しますね。
大学1年の冬に、オーストラリアに
2ヶ月間留学をしました。
ちなみにタイトルにも使われている
この写真はオーストラリアの
キングステーブルランドで撮ったものです!
それはさておき、
この留学先でですね、
ホストファミリーもあきれ返る
物凄いトラブルメーカーっぷりを発揮します。
【到着した瞬間に空港でパスポートを紛失】
我ながらこれには
初日から勘弁してくれ…と思いましたね。
ホストファザーに連れていってもらい
空港に戻り、探し回りました。
が、見つからず。
「詰んだ…」と
しばらくベットに伸びてました。
両親に相談し日本から
仮パスポート発行用の
必要書類を郵送してもらいました。
波乱の幕開けとなりました。
【交通系ICカードの買い方をミスって
200ドルの罰金を支払う】
これウケますよね。
怖すぎてトラウマになりました。
通学途中にバスに乗っていたとき、
警察みたいな人がバスを止めたんです。
そのままドヤドヤ乗り込んできて
乗客の交通系ICカードを抜き打ちチェック。
わたしのところにもきたので
自信満々で見せたんですよ。
そしたらどんどん険しい顔に…。
「降りろ」と言われて
その場で罰金200ドル請求されました。
学生用を使っていたのですが
留学生は使っちゃダメだったらしい。
ホストファミリーに
また迷惑をかけてしまう申し訳なさと
知らなかったとはいえあまりの額の大きさ、
そして留学生への容赦のなさに
異国の地でわんわん大号泣。
が許してもらえず。笑
この時ばかりは
オーストラリアなんてだいきらいだ!!
二度とくるもんか!!シャー!
と本気で思いましたね。
こんな調子なので
向こうの留学生サポートの人に
何度もお世話になりすぎて
逆に仲良くなりました。
廊下ですれ違うたびに
「Hi! Kaho!」と
声をかけられるぐらいには
不名誉な常連客に進化しました。
留学生仲間は「なんで?知り合い?」
って不思議がっていました
が、真相は恥ずかしくて
言えたものではないのです…。
箱入り娘、世間を知る
とまあ、留学の印象が強すぎるもんだから
残りの大学生活の記憶がほぼないんですけど
とりあえず、とにかくお金が無かったため
ずっとバイト戦士してました。
塾講師・模試試験官・コンビニ
シール貼り、ティッシュ配り
ラーメン屋さん・カフェ・バー
ペットショップ・お寿司屋さん
などなど…
1日に3つハシゴなんかもしてました。
今まで勉強漬けで
高校もバイト禁止だったのと
実家を離れたことで得た解放感から
バイト戦士の名に恥じない働きっぷりでした。
お金があれば世界が広がることを知り
一生懸命稼いでいました。
留学でさえあんなにやらかすわたしなので
バイトでやらかした失敗は数知れないですが
どんどん仕事を覚えて
レベルアップしていく感覚は楽しかったです。
就活〜 公務員一族の呪縛
さて大学3年生になり
バイトばかりもしてられないわけです。
いよいよ就活を考え始める時期ですね。
わたしの家系は
父、母、姉をはじめ
祖父、おじ、いとこたちも
とにかくほぼ全員公務員。
そのため
公務員がこの世で1番良い職業だと
本気で叩き込まれて育ちました。笑
ので、お察しかと思いますが
当たり前に公務員予備校に入りました。
これがネックとなり
就活をやめてネット起業する。
なんて言い出した日には
両親とこれ以上ないぞってくらい
揉めに揉めました。
二度とあの日には戻りたくないです。
家中に響き渡る父の怒鳴り声。
馬鹿なこと言っていないで
公務員に受かってみろ!!
3年間働いて社会を知って
それから好きなことをしろ!
社会人経験もない小娘の言うことを
誰が信用するんだ!!
今まで特に目立ったことをしたこともない
お前なんかにできるわけがない!
お姉ちゃんみたいに
まともに生きろ!!馬鹿が!!
人格ごと否定されるような
怒涛のすごい言われようでした。
わたしが話す1言2言は全て
かき消されていきました。
自分の言葉が届かない。
その悲しさと、
姉のようになれという
幼少期からの劣等感の再来。
無力に流れ落ちる涙はそのままに
それでも
首だけは絶対に縦に振りませんでした。
なにを言われようと
わたしが進みたい道は
公務員じゃない。
今まで十分、親の言う通りに生きてきた。
だから、これからは
もう少し離れて見守っていてほしい。
心配してくれるのはわかるけど…。
ごめん…。
わたしは結局、その手をふりほどいて
ネットビジネスの世界へ走り出しました。
そんな中、唯一姉だけは
「かほの人生だからね、好きに生きなよ」
と背中を押してくれました。
1番言ってほしかった言葉を
姉からもらいました。
敵わないなぁ、と思います。
今では、根負けという形で両親は特に
ネットビジネスに関しては口は出さず
静かに見守ってくれています。
人生で1番つらかったこと
話は前後しますが、
ネットビジネスをやろうと決めた時に
その背中を押してくれたきっかけ、
そして、21年間の人生の中で
1番と言っていいほど
悲しくつらかったことを
少しお話しますね。
序盤にも話しましたが
小学生の頃ずっと育ててもらっていた
大好きな祖母がいます。
わたしが卑屈にならず
中学校に通い続けられたのは
何があっても味方でいてくれて
たくさん褒めてくれた
祖母のおかげかもしれません。
高校生、大学生になって
あまり会いに行ってあげられなくなっても
「かほは元気か?」
といつも気にかけてくれていました。
会いにいくととても喜んでくれて
帰るときには必ず
「かほ、がんばれな」
と優しく笑って、あたたかい手のひらで
わたしの手を握って送り出してくれました。
わたしの大好きな人でした。
そんな祖母が2020年に亡くなりました。
97歳でした。
声を上げて泣いたのは何年ぶりだったかな、
というくらい泣きました。
襲ってきたのは
言葉ではとても言い表せないくらいの
深い悲しみ、そして後悔でした。
間に合わなかった。
あんなにお世話になったのに、
恩返しの1つもできなかった。
恩返しが間に合わなかったことへの
申し訳なさと悔しさで、
苦しくて悲しくて、
自分のことが嫌でたまらなくなりました。
消えてしまいたくなりました。
就職して、落ち着いたらでいいかな
なんてのんきに構えていた自分を恨みました。
就職したら、
うなぎでも買って持っていこう。
お洒落が好きだから
綺麗なスカーフも買ってあげよう。
お花も好きだから
大きな花瓶でお花あげたら喜ぶかな。
なんて考えていたけれど
時間は待ってくれませんでした。
現実はそんなに甘くなかったです。
当たり前に、時間は刻一刻と
流れていくものでした。
お世話になった人が
これからどんどんいなくなっていく。
その事実への焦りと恐怖を
人生ではじめて感じた瞬間でした。
祖母を失ったときに
自分には恩返しをしたい人が
たくさんいる事実に気がつきました。
のんびりしていたら
なにもかもが間に合わなくなってしまう、
と直感的に感じた瞬間でもあります。
と同時に今やっている就活に対する
疑問と不安が立ち込めたんです。
仮に新卒で就職したとして
1人暮らしの生活と、会社での人付き合い。
一体どれだけのお金と時間が
わたしに残るんだろう…。
生活するためには
体調が悪くても嫌な上司がいても
働き続けなくてはいけない。
この先、何十年と始まる労働の扉を
今この手で開こうとしているのか…。
今まで漠然と就職活動をしていましたが
心の中にモヤがかかり始めていました。
ビジネスとの出会いと価値観の崩壊
そんなモヤを抱えながらも
予備校に通い、公務員を目指して
勉強をしていたわけなんですけど
ある日の夜、YouTubeで
大学時代にパソコン1台で起業した
という人の動画に出会いました。
この1本の動画がわたしの人生が
大きく変えることになります。
そこではじめて知るネットビジネスの世界。
嘘とかじゃなくて本気で武者震いしました。
感動と衝撃で雷に打たれたみたいでした。
あの感覚はきっとずっと忘れないと思います。
そこからただひたすら時間も忘れて
その動画の人の記事を読みまくりました。
その人のメルマガに登録した後、
すぐにブログを立ち上げました。
その4日後には
有料教材にバイト代を突っ込んでいました。
その後も全バイト代をつぎ込み
学生ローンとクレジットカードで
70万借金をして、お金を作り
とにかく情報に投資しまくりました。
ビジネスの世界を
ゼロから学びまくりました。
ビジネス開始2ヶ月も経たないうちに
100万以上ネットビジネスに投資をしました。
自分でもなぜこんな行動力を
発揮できたのかわかりません。
ただ、人生への焦りと
迫る就活へのタイムリミットが
行動を駆り立てたんだと思います。
情報に投資をしたことは大正解で
しょっぱなから
ビジネスの仕組みというものを知り
成功する方程式を知りました。
『ギャンブルのノリで失敗することは
まずあり得ない。
才能や人脈、資金がある人しかできない、
旧来のビジネスモデルでもない。
けど一瞬で簡単に稼げるほど甘くもない。
成功している資産家の人たちは
地道に仕組みを作り上げていった人ばかり。
流行り廃りに左右されてはいけない。
単発の利益に依存してはいけない。
この先何十年も不労所得として
安定して富を生み出し続けてくれる。
そういうビジネスモデルを選ぶべきだ。
仕組みを一度作ってしまえば
時間からもお金からも自由になって
好きなように人生を生きることができる。
ビジネスは科学なんだ。
全部ちゃんと数字で表せるし
公式が存在する。
誰でもできる。
やってみればわかる。
1年頑張るだけでも、
人生は180°全く違うものになるよ。』
何もなしえていない自分が
何年もかけて挫折と成功を繰り返した先人から
たった数十時間で教えてもらった財産。
もうワクワクが止まりませんでした。
これは成功するしかないでしょ…!
チャンスは目の前にある。
パソコン1台あれば始められる。
やるしかない!!
気がつけばコツコツと仕組みを積み上げ
今大体1ヶ月半経つところです。
今まで自分に自信なんて全くなかった。
大人しくて引っ込み思案で
泣き虫で弱かった自分。
無力な自分に涙したあの日。
人生の目標もやりたいことも
なにもなかった。
今思えばからっぽだった。
そんなわたしだったけれど
目の前にチャンスが流れてきたときに
その糸をつかむことができたことで
今少しずつ人生が好転してきています。
まだビジネスを始めて
2ヶ月も経っていないので
華々しい業績も実績もありませんが
それでもわたしはこれから
どんどんビックになっていくので
みていてください。
頑張っている人を支援できるように。
人をしあわせにできる女性になれるように。
自分の好きな自分であれるように。
これからも学び続けます。
師匠との出会いと今
自己紹介もいよいよ最後です。
わたしは現在年収3億の起業家から
ネットビジネスを学んでいると言いましたが
それは、わたしをビジネスの世界に
引きずり込んでくれた例の人物です。
その方が主催した
大学生限定イベントがきっかけで
繋がることができ、
猛アプローチの末
指導していただけることになりました。
今も、師匠のもとで、授業とバイトの合間に
毎日コツコツと仕組みを作っています。
ここまで読んでいただいた方は
それだけ本気で人生を変えたいと
思っているのではないでしょうか。
毎日めちゃくちゃハッピーで
超しあわせ!オッパッピ〜!みたいな状況なら
わたしの存在なんてスルーされているはずです。
わたしの働き方の理念や
理想の人生観に共感いただけた方には
きっとお役に立てると思います。
年収3億の起業家から学んでいる
具体的なネットビジネスでの稼ぎ方
マーケティングやノウハウについては
メルマガで詳しく話をしております。
興味がある方はぜひ登録してみてください♪
セールス!セールス!セールス!みたいな
内容ではないので安心してください。笑
Twitter・ブログ運営で悩んでいる方も
ぜひわたしのメルマガで
ガンガン情報収集していただいて
成長の糧にしていただけたらと思います。
わたしはブログよりも
1人1人にしっかり届けることができる
メルマガが好きなので
メルマガでしか話さない内容も沢山あります。
ぜひ成長の糧にしていただけたらと思います。
目の前に流れてきたチャンスを掴めるか、は
人生の命運を分けますよ。
わたしがそうだったので^^
ぜひ行動してほしいなと思います。
以上になります。
長くなりましたが、ここまで読んでくださり
本当にありがとうございました。
かほ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
実績一覧
※報酬の一部です
→実績一覧はこちら
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